院長です。
2017/4/27 :今回のテーマは、以前にも取り上げたこともある「いびき」についてです。
昨今急に「いびき」のもたらす全身への影響がクローズアップされたわけではないのですが、各病院・歯科医院のホームページにその対処法についての記事や具体的な治療方法について様々な対策が掲載されております。確かにいびきをほおっておくと最近よく耳にする「睡眠時無呼吸症候群」を惹起したりなど、たくさんの弊害を呈して参ります。
もしご自分がかなりひどいいびきをかくようでしたら、いびき外来のある病院に行かれて検査・診断をしてもらうことをお勧めします。
その後の治療については 検査をされた病院でも、開業している耳鼻科等の医院でも歯科医院でも構わないと思います。
当院でもいびきの治療の相談は行っておりますので、お声をかけて下さい。ただし、当院では誠に恐縮ながら当院の患者様を対象に行っておりますのであしからずご了承下さい。
今のところいびき防止の治療を当院で行っている方は2名だけですがそれなりの結果を出しております。効果の具体的な状況についてはまた、後日報告いたします。
さて、、3月に私が担当した回の続きについて触れておきましょう。なぜ小倉の先祖が小倉民部貞光かといいますと「さとみものがたり」に四代義豊には正妻とその他に側室が二人いたと書いてあり、うちの先祖以外の二人は義豊が討たれる前に自害し亡くなったが小倉の娘の方は、義豊がその才に惹かれていたらしく自害させず、
城が焼け落ちる前に実家の方に逃がしたと記してありますが、父の話でもその娘が武家の出ではなく、お百姓さんの娘で義豊がその才に惹かれて側室として城に入った時も苗字もなくこれではまずいと考え、小倉のくらじょという苗字と名前を与えられ実家の父親の方も苗字・帯刀を許され、突然武家になってしまったということや、大変な才女で皆で自害せずに一人だけ逃げさせたこと、「小倉のくら女日記という書物を書き残しいまでも佐倉市の日本歴史博物館に残されているということなどから、父が代々聞き伝えられてきたことと、この本の内容が酷似していることからある程度の信憑性があるのではないかと思っております。(完)